水谷涼哉
1997年、東京・大田区生まれ。池袋在住。センター国語満点。器械体操とサッカーを9年、テニスは中学から今日まで。綾辻行人のミステリーが特に好き。
あまり大きな声では言えませんが、私は中学校の先生が大嫌いでした。先生の好き嫌いで成績がつけられる公立中学として地元では有名だったのですが、私の場合は定期テストで80~90点とっても内申が1でした。授業がつまらないので寝て過ごし、提出物は出さず、それなのにテストでは高得点だったので、先生は気に入らなかったのでしょう。今なら先生の気持ちは分かります(笑い)。
先生が大嫌いだったのに、大学時代は塾で小中高校生を教えていました。生徒の成績があがるのはもちろん、意識が変わって、自習に来るようになるのが嬉しかったのです。仲良くなるのが早いかもしれません。
有名塾に就職して、すぐに教室に放り込まれました。そこのオーナーは教育に詳しくないばかりか、生徒の成績よりも売上を増やすことを重視する人でした。
私がこの明光義塾で働こうと決めたのは、久米先生に惹かれたからです。明光義塾のスタイルからはみ出していいと言われると、これまで培った知識と技術でもって腕を振るえます。
進路がその子にとって納得のいくものであってほしい、と常々考えています。進みたい進路を探して見つける子に育ってほしいのです。あらかじめ敷かれたレールの上をまっすぐに行けばいいというものではないと私の経験から思っています。
そのためには「自立」が必要です。大学入学以降も勉強しなければなりませんが、大学の先生は何も言ってくれませんから、下手をすると置いていかれます。
そうならないよう、自分でやるべきことをやる力が必要です。この力は大学だけではなく、社会人になって以降も必要です。突然身につくものではありません。明光義塾に来た生徒にはこの力をしっかり培ってもらおうという思いで、向き合っています。
藤井翔一
1995年、上尾市生まれ。小学校から高校までサッカー部。大学では応援団に所属。『HUNTER×HUNTER』が大好き。一児の父。
「最初に厳しいことをしておくと、あとあと楽ができる」と祖母にずっと言われていたので、非常に厳しいと言われていた住宅メーカーの営業職に就職しました。実際「大変なこと」しかない仕事でしたが、2年半やりきりました。
しかし、自分の至らなさを知りました。そこそこ何でもできると思っていたのですが、何もできないことに気づいたのです。いい経験を積んだと思います。
その後資格学校の営業に転職しました。3週間休みなしだったり、1日計4時間の電話営業がマストだったりと、ここでもハードな営業をこなしました。
学生時代に埼玉の塾で小中学生に英語や数学を教えていました。成績が上がると一緒に喜んだものです。
私が子供たちに思うのは「少しでも強くなってほしい」ということです。なぜなら、今の世の中は選択肢が多く、いろいろな環境が整っています。自分がしっかり構築できていないと、揺らいでしまいます。GAFAの奴隷になってしまうかもしれません。そうならないよう、周囲に左右されず、自分なりに「こうしたい」という思いを持って、そこに向けた努力や経験を積み重ねることができる人間になってほしいのです。
この塾で教えるようになったとき、楽しくやりたいと最初のころ思っていました。生徒が来たいと思う場にしたかったのです。
その思いは今もありますが、「楽しい」だけでは駄目だと気づかされました。居心地を良くすると、寝たい子は寝てしまうし、宿題をして来ません。強くなるためには、「楽しい」だけでは足りないのです。
社会人になってからが勝負ですから、早めに教えてあげたいことがいくつもあります。恥ずかしい話ですが、私はかつて靴の踵を踏んでいました。姿勢も良くなかった。だらしなかったのです。社会人になって痛い目を見たので、私の反省を踏まえて、早めに教えてあげたい。社会に出ても通用する人間づくりができればと考えています。